キプロスとは地中海に浮かんだ島国で、ギリシャとトルコの中間くらいの位置にあります。

古来から、中近東とヨーロッパを結ぶ海上の交易ルートの中継地点にありましたので、燃料や食料の補給地として、とても重要な役割を担っていた国でした。

いわば、この地域の領有権を獲得することは、地中海貿易で多大な利益を獲得することを意味していたのです。

ですから、当時の国家は、この地域を獲得するために、多大な努力を払ってきました。

古代ヨーロッパでは、長らくギリシャの支配下にありましたが、ギリシャの力が衰えると、ローマ帝国の支配下に入るようになります。

そして、ローマ帝国が東西に分裂すると、ビザンチン帝国の領土に組み込まれるようになりました。

ビザンチン帝国は別名東ローマ帝国とも呼ばれていますが、人種はギリシャ系で、統治機構や文化もギリシャの制度が用いられてきました。

ビザンチン帝国の支配は千年近くも続いたので、いまでもキプロスには当時の名残をとどめる文化遺産が数多く残されています。

なかでも有名なのは、ビザンチン帝国の国教であったギリシャ正教の寺院や数々の宗教画で、世界遺産に登録されている教会もあります。

これらの文化遺産は世界的に有名で、今でも現地には世界中からの観光客が詰めかけています。

さて、ビザンチン帝国は千年にわたり繁栄しましたが、次第にその力は衰え、ついにヴェネチア共和国にこの島の領有権が奪われることになります。

その後は、ヴェネチアの海洋貿易の拠点として栄えましたが、ヨーロッパ各地にトルコ軍が侵攻してくるようになると、ヴェネチアの力も衰退し、キプロスはトルコの支配下に入ることになりました。

この支配は、第一次世界大戦まで続きます。その後、第一次世界大戦の戦勝国であるイギリスに併合された後、今から約五十年前に念願の独立を果たしました。

しかし、長い歴史の中でギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が激化し、ついには南側のギリシャ系住民が多い南キプロスと、トルコ系住民が多い北キプロスに分離することになります。

この南北の共和国をへだてる国境線には、常に国連軍の兵士が常駐し、両地域住民の衝突が起きないように見張っています。

また、両地域は互いに行き来することができません。観光客は、南北いずれかの国にしか入国が許されないのです。

さまざまな国家や民族の支配を受けた結果、現代に至るまで一つの島が二つに分断されるという悲劇が生じているのです。